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がん闘病記 Yさん 50代男性 日本在住

1993年7月、ハワイで吐血。
その後日本国内で3つの病院にかかるが「問題ない」という診断を受ける。
1994年6月。東京の大病院で原発が舌根部で、すでに両頸部リンパと声帯にガンが転移していると診断された。担当医師は即、手術をすると言った。その後の治療として、抗ガン剤治療、放射線治療をすること。そして、余命2年と告げられた。
たまたま友人を通して、M.D.アンダーソンがんセンターの Dr. Coxを知っていたのですぐに連絡し、日本での治療方法を細かく説明した。しかし、Dr. Coxは、すぐ放射線治療で頸部と舌部を治し、出来るだけ手術はしないとのことだった。そして、治る可能性があるので、すぐアメリカに来るようにとおっしゃった。
このことを東京の医師達に告げると、「とんでもない」と言われた。どちらを信じるべきか、どちらを選択すべきか迷った。しかし、もう一度Dr. Coxと話し、また、東京の担当医師とも話し合い、X-Ray、その他の資料を持って、M.D.アンダーソンがんセンターに行く決断を下した。私がどうしてもM.D.アンダーソンに行きたかったのは、

1. 東京の医師からは手術をすると言われたこと。その時、義兄が数年前、私と同じ部位のガンで手術をし、その後、苦しみながら他界したことが思い出され、どうしても納得出来なかった。
2. ハワイの友人も80年代半ばにガンにかかり、Dr. Coxの治療を受け、今でも元気でいること。
3. また日本で余命半年と宣告された知人を以前にこのM.D.アンダーソンがんセンターに紹介し、命を取り留め、今も健在であること。
4. そして、日本の病院とはガン患者の症例数の違いが大きかった。
M.D. アンダーソンがんセンターには、一年間延べ34万人以上のガン患者が世界各地から集まってくる。

決断を下すにあたり、日本の先生方とは何度も話し合い、私の変わらぬ決意に、最後は大変快く協力して下さった。アメリカでの治療の経過を報告することを約束し、また、帰国後、この病院に戻ることがあってもよろしく、とお願いした。

7月6日、渡米した。」入院費が高いので、病院のそばのホテルから通院した。私の場合、Head and Neckの教授が診察して下さり、今後どの様に治療するか話し合った。その後も専門医が度々治療に関して話し合いの機会を持ち、患者に対してどの様な治療がベストであるかを決めていった。
ここでは、医師間の派閥が全くない。常に患者中心に考えているとDr. Coxがおっしゃったことが印象的である。
放射線治療を受け、副作用のため固形物が喉を通らずENSUREを1日8缶飲むだけという、辛い日々だったが、Dr. Coxをはじめ、担当医のDr. Ang、そして、肺ガンの権威で日本人の小牧律子先生、その他の先生方の的確な治療と温かい励ましのお陰で手術をせずにすんだ。

9月10日、帰国。
放射線治療による後遺症は現在もあるものの、今でもゴルフを楽しんでいる。
たまたま、私は、AFLAC(アメリカンファミリー)のガン保険に入っていたので、海外での治療もある程度カバー出来,
今となっては、トッパントラベルの保険部の方々に大変お世話になったことを感謝している。
私の経験から言えることは、遠慮せず、とことん先生方と話し合い、自分の納得する治療方法を選択していただきたい。なんと言っても自分の命の問題ですから。

最後になりますが、日米の先生方に心から感謝を捧げ、一人でも多くのガン患者の方達が前向きに、そして、強い意志を持って生きて行かれることを願って止みません。
今後は、私の経験を生かして協力できることがあれば、お手伝いさせていただきたいと思っているところです。お問い合わせは、メディエゾン・テキサス経由でいただければと存じます。


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