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がん闘病記 Gさん 30代女性 アメリカ在住

私が初めて体調の異変に気がついたのは、2001年の6月頃でした。右脇腹に鈍い痛みと、ときどき引っ張られるような感じがして、また、横になってその部分を触ると、なんとなく硬い感じがしました。
  8月に入って、毎年受けている人間ドックでその病気が明らかになりました。「後腹膜における悪性肉腫で、その腫瘍はメロンぐらいの大きさでしょう。」と医師に告げられました。
  悪性肉腫と聞いて始めはあまりピンときませんでしたが、「がんの一種です。」とはっきり言われた時は、「なんで私が?これは何かの間違いだろう。それにそんな大きなものがお腹にあったなんて…」信じられない気持ちでいっぱいでした。
  主人の仕事でアメリカに住んでいる私は、早速地元の腫瘍専門医に診てもらいましたが、腫瘍が大きく他の臓器・血管と癒着している可能性があるため、なかなかどのような治療をするのか決まりませんでした。そうこうしている間に、「もしも治療に長期間かかるのなら、日本で手術をした方がいいのかもしれない…」という迷いがでてきました。言葉の不自由もなく、両親や友達のおおくいる日本の方がまわりのみんなも安心するのではないかと。
  しかし、
  1.この病気が10万人に2人という稀なもので、この分野における経験豊富な専門医が必要。
 2.アメリカの方が医療技術が先行している。
 3.今から日本へ帰国しても検査のやり直しなどに時間が掛かり、ガンを進行させてしまうおそれがある。
 これらの理由から、アメリカで手術を受ける決心をしました。ただひとつ、手術費についてとても気掛かりでしたが、幸運なことに会社の加入している保険でほとんどがカバーされるということで問題ありませんでした。
  その後、地元では適当な腫瘍専門外科医が見つからなかった為、ヒューストンの「M.D.アンダーソン」へ紹介してもらうことになりました。この病院については、主人の知人や大使館を通して知り合った方々に、世界的にガンの治療で有名なすばらしい病院ということで勧められていたこともあったし、稀にみる悪性肉腫の専門部署があるということから、この病院で治療することを決意しました。
  大きな病院だけに、やはりすぐには予約が取れず、最初の予約はこの腫瘍が見つかってから28日が経過した頃でした。この間、病気がどんどん悪化してしまうのではないかという不安と、病院からの連絡待ちなどでイライラとしていた日々でした。
  初めて病院を訪れた時、その建物の大きさと綺麗なことに驚きました。また、世界中の患者さんが集まるため、ほとんどの国の言語を網羅するほどの通訳の方も用意されていました。日本語もそのうちのひとつです。私には3歳になる子供がいますが、検診の日にはチャイルドケアルームにあずけたりしていました。(あまりなつきませんでしたが…)結局、人間ドックでのデータは古いので再検査をすることになり、その後4回の通院で血液検査・レントゲン・CT・MRI・細針吸引生検を行いました。どの検査も受付をした時点で、患者を間違えない様、氏名・生年月日の入ったリストバンドをはめられました。そして検査を始める前に必ずリストバンドのチェックと口答での質問をする徹底振りには当然のことですが、感心しました。
  私の場合、最善の方法は大きな腫瘍を取り除くということでしたが、場所的に手術ができるかどうかが問題で、もしも手術ができなかった場合、化学療法による治療を最低半年は行う必要があるだろうと言われていました。
  10月1日に電話連絡によってその結果が聞けるはずでしたが、まだ結果は出ていないということでした。その後も何度か連絡をして、通訳の方から主治医のアシスタント医に直接聞いてもらいましたが、結果は聞けずに、「びっくりしないで下さい。決して悪いことではなく、医師たちがじっくり話し合って結果を出しているのです。」と言われました。その間、ただ待っているのも気が気ではないので、ヒューストンに行ったついでに、私の情報や今までの診察結果が入力されている用紙のコピーをもらって自分の目で病状を確認していました。
  そして、11日にとうとう結果はでました。主治医のアシスタント医・通訳の方・主人の3人で電話会議を行い、「手術はできる!」ということでした。その結論は、各種外科医・内科医・麻酔科医・化学療法医・放射線治療医その他いろんなエキスパートが一同に会議を行って出されたものでした。この会議は、この病院ではごく一般的に行われていて、それぞれの患者さんにとって最善方法は何かを徹底的に話し合っているようです。とにかくその報告には嬉しくて、主人とM.D.アンダーソンの通訳の方と喜びました。
  その10日後に手術日が決まり、その前に必要な検査や、主治医・その他の外科医・麻酔科医との面接をして、具体的にどのような手術が行われるか説明がありました。そして、「リビング・ウィル」という文書も渡されました。それは、患者が自分の希望を述べることのできない病気の末期、昏睡あるいは臨死状態になった場合、どのような種類の治療を求めるか、あるいは求めないかを宣言するという文書でした。正直あまりいい気がするものではなく、アメリカの文化を思わせるものと感じました。記入するのも主人と考え込んでしまい、最終的には提出してもしなくてもどちらでもいいということで、提出はしませんでした。州によって違いはあるものの法律で決まっていることで、手術を受ける患者さん全員に配られるようです。
  手術当日、控え室で待っていると、牧師さんがやって来ました。私は、特別な宗教心はないため帰ってもらいましたが、各部屋をまわって、手術前の患者さんの話しを聞いたり、お祈りをしていた様でした。手術には万全の体勢で望めるようにいろいろなことを想定した上で、主治医(腫瘍外科医)・血管医・その他に腎臓医・肝臓医も待機していました。(実際、手術に携わったのは2人です。)
  8時間に及んだ大手術も無事成功し、回復室(準集中治療室のようなところ)でひと晩様子を見て、翌日から個室に移りました。
  ナースブースを中心に病室があるため、大変安心できる環境でした。60針分、かなり大きくお腹を切開したのですが、翌日から歩くことを勧められ、少しずつ練習しました。これにはちょっと驚きましたが、すぐ歩くことによって回復も早くなり、精神的にも鍛えられたような気がします。
  入院中は、ホテルの食事メニューのように種類豊富なものの中から、自分の食べたいものを食べたい時に注文していました。ただ、日本食のようなものはなかったので、ご飯が食べたくなると、主人に頼んで日本食のレストランから買ってきてもらいました。
  病院内にはボランティアの方達もいて、日本人の女性が何か困っていることはないか訪ねにきてくれました。病院の向かい側には、渡り廊下でつながったとても綺麗なホテルがあって、手術前から退院するまで、主人・娘・日本から手伝いに来てくれた母が宿泊していました。とても便利で、時間があると病室に様子を見に来てくれました。少々割高のホテルでしたが、ホテルと病院が隣接しているため、患者さんとその家族が安心できるし、長期にわたって滞在可能です。
  病院のまわりには、他にも安いホテルがたくさんあって、通院している人達を対象に宿泊代の割引があります。この様なホテルも長期滞在可能です。日本では考えられませんが、1週間で退院しました。
  病理学医の検査の結果、私のがんはとても低いグレードで、他の臓器などに転移していることはなく、また、今後再発・転移の可能性は低いということで、3ヶ月毎の検診のみ行うことになりました。摘出した腫瘍は直接には見ませんでしたが、後に、インターネットで写真を送ってもらいました。本当に大きなもので、7キロぐらいはあった様です。
  手術をして7ヶ月が過ぎた今、すっかり体調も回復して、日々楽しく生活しています。私は、この病院で治療できたことを本当に幸せに思っています。
  また、「メディエゾン・テキサス」という日本と病院の架け橋になる会社ができたことを、とても嬉しく思っています。1人でも多くの患者さんが、最新の治療を受けて回復されることを、心からお祈り申し上げます。
  最後に、私の為に最善の治療をして下さったDr.Feig・Dr.Swisher・いつも明るく励ましてくれたナースの方々・その他応援してくれた家族や友人に心から感謝申し上げます。

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